気が付いたら普通のOLから一切営業なしのフリーランスになっていました

Life hack:自分のやりたいことを見つける

人生何が起こるか分からないものです。

大学を卒業してから会社員として何社かで働いてきた私ですが、38歳にして初めて組織から外れることになりました。

何か特別なスキルがあるわけでもない、コネや人脈があるわけでもない、手に職があるわけでもない私がどうやってフリーランスになったのか、何で稼いでいるのかを話していこうと思います。

私のように何も特技とかないけどフリーランスや個人事業主になりたい方の後押しや参考になればと思います。

とはいえ、まだ私もフリーランスデビューしたばっかりなので、「私でもフリーランスになって自由を謳歌できるようになりました」というところまでをお話しします。

働くということがよく分からないままスタートした社会人生活

4年生大学を卒業した私は、就職氷河期の終わりの方の世代で、ガチ氷河期よりはまだ就活は楽な方だったと思います。

でもいまいち「会社で働くという事がよく分からない」「仕事をするということのイメージがわかない」という、ふんわり学生でした。

アルバイトは郵便局の仕分けとか、アパレルの通販とか、PC教室のアシスタントみたいな仕事をしてきましたが、接客がしたいわけでもない、何かを教えられる人になりたいわけでもない…。
とてもぼんやりしたイメージのまま、「HP作るの面白いし何かWebに関わる仕事にしよう」ぐらいの気持ちでなんとなくITとかWEBというキーワードで調べて出てきた会社を受けることにしました。

BtoBの会社なので一般的な知名度は低めでしたが、東証一部上場企業だし見栄えもいい、ここならまぁ就職先として親にも報告できるだろうみたいな感じですね。

大企業なので採用にたどり着くまでは6回ぐらい試験やら面接やらなんやかんやありましたが、この1社しか進めてなかったので全力で内定をもぎ取りにいきました。

そして始まる社会人生活ですが、まぁ先輩たちの怖いことと言ったら…。

この会社でまず「社会人たるものこうでなければ」という社畜ルールをばっちり叩き込まれました。

組織で生きていくためには必須のスキルだらけで、当時主体性のかけらもなかった私はとにかく言われた事すべてを守ることに命を懸けていました。

あと先輩から嫌われないようにするにはどうすればいいかとか(笑)

新人の中でもあの子は見込みがある、あの子はダメ、というレッテルは速攻先輩社員の間で広がっていき、方々からいろんな噂が耳に入るようになる中、私は持ち前の「石橋をたたいて渡る仕事っぷり」が評価されたのか、チームでやっていけるタイプっぽい&客先に出してもヘマしないだろうと見込まれて、割と早々に社外で働くことになりました。

ここから流浪の民のようにクライアント先を渡り歩くことになりましたが、一応取引先はすべて名のある誰もが知るメーカーとか一流企業なので、その会社の中に入る込めるのはとても面白かったです。

この時私は、世の中にはいろんな会社があって、社風というものは会社によって全く違うということに気づきました。

同時に自社への不満が募っていくことにもつながります。

自社サービスを愛し働いているクライアント様がとっても羨ましくなったのです。

私はあくまでWebサービスでお客様企業をサポートする立場。
自社のサービスもなくはないけど、結局は人材のスキル次第の受託業務なので、自社への愛がまったく育つことなく、受託業務という仕事は私のやりたい事ではないと徐々に思うようになっていきました。

私も自分の好きな事や物を世の中に広める仕事がしたいよぉ…( ;∀;)

そして26歳の時に結婚して、家庭のこともあるので長距離勤務を辞めたくてクライアント先ではなく、自社に戻してもらうように交渉しました。(この時の通勤片道1時間半かつ定時が19時…)

そしたら自社は長距離勤務の方がマシだったと思うぐらい伏魔殿でした笑

パワハラもやばいし、何より今までクライアント先で仕事をしていたので自社の仕事がよく分からないという致命傷を負っていたため、降りかかる仕事が今までとまったく違う業務でテンテコマイになったのです…。

深夜1時を回っても帰らせてもらえない日が続き、翌日は朝から提案書を持って客先へ行かなければいけないプレッシャーに、私の心はぽっきり折れたのでした。

そしてあっさり6年働いた会社を辞めることになりました。

と同時に離婚しました。(*´σー`)エヘヘ

無職、子なし、猫あり、バツイチのアラサーの職探し

適応障害という診断をもらい、そんなさなか家庭は離婚という、とんでもねぇ大殺界だったわけですが、なんとか元旦那から奪い返したが手元に残りました。

家賃のこともあり引っ越さなければいけなかったので猫が飼える賃貸を探しましたが、この時無職の私は家が借りられるか冷や汗もの。
でも親切な不動産屋さんが色々手配してくれて無事に契約することができました。

この猫は私が流産した数か月後に道端で拾った猫なので、まぁ子供の代わりのような存在です。

あ~この猫のためにも頑張らないとなぁ。って思って数か月ニートを謳歌し、いよいよ働くことを決意して初めての転職活動に挑むことに。

なにぶんハローワークも初めてで緊張しましたが、そこで若者支援制度みたいなものに出会い、初めての転職活動だしサポートを得ることにしました。

やはり一人で抱え込むと良いことはないのと、勝手が分からないのでプロにすがりたかったのです。

こういうサービスはどんどん使った方がいいです。
特に心神耗弱状態で転職活動するときは絶対第3者の力を借りて支えてもらいましょう!

職務経歴書を直してもらったり、こんな求人どう?って見せてもらって応募してみたり。

その時私が一つ決めていた転職先の条件は「自社のサービスや製品を愛している会社」ということ。

そしてもうIT関係の仕事はやめて、事務職として社内の人をサポートする立場になりたいと考えました。
なぜなら、退職時に壮大なパワハラを受けていたのですっかり仕事に対して自信喪失していた私は、前線で活躍するようなタイプじゃないんだ、縁の下の力持ち的な役割が合っているに違いないと思っていたのです。

結果、3社目ぐらいで面接まで行ったとある食品卸会社に、未経験ながらも営業事務として雇ってもらえることになりました。

人生初の転職活動、何度も心がポキポキ折れましたがひとまず正社員という安定を手にすることができて生活の立て直しがスタートしました。

営業事務として社内サポートに徹する仕事をやってみた

この時29歳、もうすぐ30歳というところでしたので、当然再婚も頭によぎっていました。

でもその頃抑え込んでいたバンギャ熱が再発し、とにかく休みはライブに行くことしかせず、仕事は文句をいいつつも、気づけば1年で営業事務のリーダーになっていました。

(ちなみに再婚についてはマッチングアプリなぞを使ってみましたが、まぁすべてお遊びで終わりましたね!)

で、仕事においては、徐々に自信を回復してきたこともあり、割と早めに会社になじみ、意見が通りやすい地位も獲得しました。

ちなみにこの会社、めちゃくちゃ昭和な会社で、FAXと電話と伝票で仕事が成り立っているようなレベル。
なのでWeb系の会社で6年やってた私はかなり重宝されることとなりました。
(こういうところが自信回復につながっていきました)

基幹システムの入れ替えの際には中核メンバーに選んでもらってデータの移行なんかも取り仕切ってやったりみんなで力を合わせて仕事をしている感じが楽しかったですね。

ただこの会社とはお給料のことでもめてしまったので(残業代一部未払い)、さかのぼれる2年分の未払いをきっちり回収したうえで辞めました。

辞めるに至る理由はお金以外にもありました。

「ここで一生働くのか?いやそれはないな。てかこの会社に居たらなんだか世間から取り残されそうだし、私って何のスキル身についてる?次も事務しか転職できないパターン?うーん…ヤダ!」

ここの営業事務は大きな意味のルーチンワークを臨機応変にこなす感じで、結局仕事を大別すると見積、受発注、電話応対、社内サポート、展示会サポート、書類作成とかこんな感じなわけです。

あんなに「社内のサポートに徹したい」と思っていたのに、ふたを開けるとやっぱ腹立つんですよね、指示されるのが(笑)

どうも生産性を伴わない仕事に私はやりがいを見出すことができませんでした。

こういうお仕事が大好きな人もいっぱいいると思います。

でも私は違った。

3社目も異業種、異職種を選び、ゼロからキャリアスタート

はぁ…私って何が好きなんだっけ?

何がやりたいんだっけ?

こんな疑問に答えることもできないぐらい、私は会社の歯車として生きてきたのかと落ち込む日々。

履歴書にかけるスキルなんてぶっちゃけ車の免許ぐらいなもんで。(しかもペーパー笑)

しかも次は絶対事務やらないって決めていたので、じゃあ私に何ができるの?っていうのがほんとなくてびっくり!

もちろんWeb系の会社にも今更戻りたくないし!!!

自問自答していく中で、貯金もなくなり、ちょっとても食費を浮かそうと家庭菜園を始めることに。

意外と土いじりが楽しいなぁって思って、これだ~とひらめきました。

次に選んだ仕事は植物系観光施設のガイド!

今まで完全なホワイトカラーでパソコンがお友達だったのに、観光産業かつ植物にまつわる仕事に就くことにしました。

ここは契約社員だったので自分の中でも期間を決めて、こういう業界が気に入ったらどっかで正社員を探そうと思って飛び込みました。

未経験なのに意外と雇ってくれるもんで、応募したら速攻採用されました。(まぁ常に人手不足でもあるけれど)

ここで出会った方とのご縁が3年後すごいことになった

無知ながらも植物のことを勉強して、入社1か月後にはいっちょ前にお客様を引き連れてガイドをする日々。

ハーブやアロマの展示もあったので、植物やアロマの勉強は多岐にわたりました。

ガイド以外にもイベントの企画と実施運用、広報物の作成なんかもあって意外と忙しかったです。

ちなみに異業種異職種なこの職場において、今までのキャリアで唯一使えたのは広報物作成のためのイラレスキルぐらいでした。

英語しゃべれなくてテンパり(コロナ前なのでインバウンドだらけ)、レジの操作もドキドキ、毎日のお金の計算もドキドキ、施設を管理する、救命救急を覚える、シーズンごとの大規模イベントを担当するなど、全然やったことない仕事ポンポンやらされて毎日が刺激的でした。

知らない植物のこと聞かれてあたふたすることもたくさんあったけど、山の上の職場なので壮麗な景色に救われていました。

とまぁ一見楽しそうに見えますが、どの職場でもありがちな、中身は結構ドロドロで人の入れ替わりも激しい、これまた新人泣かせな職場でした。

割りときつい人が多かったので、大体みんな病んで辞めていきましたね。

ここでも気づけばあっという間に中堅に仲間入りしたのですが、この職場で一生を捧げる気は元々ないからそろそろ身の振り方を考えないとなぁと思っていたころ、外部から雇われたとても偉い人が、この会社の構造改革をしに来ました。

いろいろあって結局この改革は頓挫したのでその偉い人もいなくなったのですが、私はこの偉い人に未来を感じていたので、改革がなくなったことを知って「あ~潮時だ~」と気持ちが完全に萎えたのでした。

さて、この改革は実現しなかったけど、なんだかすごそうな偉い人とは、なんと3年の時を経てもう一度仕事をする機会が巡ってきます。

これについてはまた後程。

新たなキャリア形成期、まさかのコロナでスキルが活きた

契約満了とともに、「更新しません!」と高らかに宣言して辞めた観光施設。

またしても陥る「私って何がしたいんだろう」という病。

もうこの頃になるとハロワも慣れたもんです。
いつもの手続きをそつなくこなし、求人検索をしてみる日々。

観光施設を辞めた時、やっぱり何かしらハーブやアロマには関わりたいなというのは心にありました。

ただ、特に資格があるわけでもないですし、仕事といえば販売員ぐらいしか思いつかないジャンル。

う~~~~んと探しているときに出会ったのがアロマスクールの仕事でした。

あ、そういやこのスクール、観光施設に団体で来てたしガイドしたことあるなぁ~(はなほじ~)みたいな感じで求人を見ていたのですが、その時出ていた求人は2種類。

端的に言えば「事務的な仕事」もしくは「Webマーケティングの仕事」

ここで私は自分のキャリアとまたしても向き合うことになりました。

「事務職はまずできる自信があるけど、自分が心からやりたい職種ではない」

「Webマーケティングの仕事は1社目の時に志半ばで折れたし、業界を離れている時間が長すぎて自信がない…でも将来性があるのはこっちの仕事だよなぁ」

ああ悩むぅうううん…とグネグネしているうちに時が流れていきました。

季節が2つぐらい変わってもまだその求人が出ていて、よっぽど人材いないんだな~とちょっと安心したり(笑)

まぁほんとニッチな求人ですよ、今思っても。

アロマが好きでWebマーケティングができて、もちろんスクールの仕事(接客や裏方)もしなければいけないとなると、かなり狭まるんだろう。

この求人を眺めれば眺めるほど、これってもしかして私しか居ないんじゃない?って思えるようになってきました。

アロマ好き、Webマーケ経験あり、スクール業務はバイトで経験あり…これを受けずして私はどの会社に行くというのだ??

と、どんどん自信がわいてきて、意を決して応募することに。

やっぱさ、転職活動って、数うちゃ当たる戦法もありとは思うけど、落ちるとショックなわけですよ。

だから私は割と一点突破型です。

きちんと自分のやりたいこととスキルを棚卸して、かなり具体的に仕事を決めて求人を探し、これだ!という所に出会ったら、浮気なんてせずに、ありったけの熱い思いをぶちまける。。。みたいな。

私の転職はすべて中小企業狙いなのですが、この熱い思い戦法はかなり効いていて面接は100発100中内定です★

かくして、アロマスクールに内定をもらい、2019年11月より働くこととなりました。

まぁ4人が翌月の12月に辞めるというとんでもない状態の会社でしたが(笑)、残った人と私で頑張っていくぞ~と張り切った2020年。

世界を襲った未曽有の危機であるコロナ禍の襲来です。

この時までなにしろスクールですから、すべての授業は来校つまり通学で行っていました。

日に日に緊迫度が増していく中、ついに全講座休講の決断をしなければならない時がやってき、スクール事業で生計を立てていた会社なので、来校ストップ、入校者ももちろん居ない為、売り上げ0という状態へ突入。

入社して4か月ほど、ようやく右と左の区別がつくようになったヒヨコの私は「あれこれ会社大丈夫?」っていう、自分のキャリア形成なんてそっちのけ、そもそも会社存続できるかどうかの心配をすることになりました。

今でこそオンラインレッスンが当たり前になっていますが、この時まだ世の中の風潮的には「オンラインなんかでは伝わらない」「やっぱりリアルじゃないと」という考え。

でも私たちはオンラインレッスンに切り替えるしか生き残る道がありません。

Webカメラが市場から消えるぐらい各企業急もピッチでオンライン化を進めていました。

ちなみに、社内にオンラインレッスン経験者はゼロ。
せいぜい社長と私がオンライン会議を経験したことがあるぐらいですね。


加えてどちらかといえば私以外全員ネット関係に疎い…
というか私も別に強いわけではないけれど、普通のOLよりはちょい詳しいぐらいです。

既存の講座をオンラインにするにはどうすればいいか、

テキストはどうやって共有するか、

Zoomを使うのが一番いいのだろうか、

そもそもZoomの使い方知ってる人誰もいない、

生徒にどうやって案内していこうか(←ネットに強くない人が多い業界)

今でこそこんなに当たり前に使っているZoomのZの字も当時は浸透していなかったんです…。

ただ、この時やはり中心になって社長がリーダーシップをとってくれたこと、私を信頼していろいろ任せてくれたこと、そして当時のメンバー一人一人が自分のできることを精一杯やって、なんと業界でいち早くオンラインレッスン化に切り替えることができました。

これは今から思っても本当によく頑張ったなぁって思いますし、周りの人からも、あのタイミングで入社してきてくれたのは奇跡!!!と褒めまくられました(笑)

小さい会社を経験してきたからこそ、やれることやできることが身についていると実感しました。

自分の生き方を決める決断

さて、そんなこんなでコロナ禍には苦しめられることが多々ありましたが、私個人としてはこの会社の役に立てることを増やしていくような働き方をしていました。

もともとWebマーケで入社しましたが、人手不足により営業を兼任することになったので2部署兼任状態へ…

ここでも組織には従順であらねばならない精神が功を奏し、あっという間に周囲の信頼を勝ち取って中核メンバーになり、とにかくお金を生み出す仕事はほぼすべて担当していた状態です。

会社の方針でこれやりたい、あれやりたいと決まったことをすべて実現するべく、身を粉にして働くスタイルをとっていたため、気づけば毎日終電…。

深夜1時に帰宅してからコンビニで買ったご飯とビールを流し込みながら「あ~今日もよく働いたなぁ。さ、おなか一杯になったし明日も早いし寝よ。」みたいな生活。

今思えば少しこの時病んでいたのかもしれません。

残業も一定時間を超えると幸福に感じるらしいので、まさにそういうハイな病み方をしていた気がします。

とにかく会社のために売上のために私ができることは何でもやる!!!!(お目目ギラギラ)

でもやっぱり残業が100時間を超えると体力が追い付かなくなり、定期的にやってくる「私このままでいいんだろうか」という疑問。

私には「定年まで働く」というのがどうにもピンとこない。

この会社で65歳までいるかといわれると、それがどんな会社でもNoなのです。

必死に会社のために滅私奉公や~と仕事命で働いてきたので、ふと立ち止まったときに反動がすごくて、これはまさに迷路。私はまた抜け出せない迷路に入ってしまった。また辞めるのか?辞めてどうする?違う会社に行っても結局一緒じゃない?てか猫と一緒にもっとのんびり暮らしたい。あ~地元にも戻りたい。つ~か親になんかあったら私ってどうなるの?

こんな事が毎日頭をぐるぐる回りだして、徐々に会社に対する不満や鬱憤がたまっていくことに。

こうなると自分の心を安定させるのが大変で、不機嫌をまき散らしそうになる事も…。

いままでなら気にならなかったこと、癪に障らなかったことが、今は気になるしカチンとくる。

徐々に言葉がきつくなる、態度が悪くなる、明らかに後ろ向きになっている。

自覚症状が現れだしたので、これは何とかしなきゃいけない…そう思っているときに、とある本に出会いました。

「私、ちゃんとしなきゃ」から卒業する本との出会い

たまたま本屋で見つけた小田桐あさぎさんの著書です。

もちろんこの時まで存じ上げませんでしたが、心がバリバリにささくれ立っている私にこのキャッチコピーがものすごく刺さったのです。

この時は立ち読みをさらさらっとして、帰り道にあさぎさんの事を調べ、たまたまその時行っていたLIVE配信を見て号泣するという状態に…。

ライブ配信2日目も見てまた号泣。
3日目は録画で見てもちろん号泣して、4日目は生で見てたんだけど、壊れかかった私の心を修復してくれるのはこの人しかいないと思って泣きながら講座に申し込みました(/・ω・)/

かくして私の心は限界を迎える前になんとか救いを見つけることができたのです。

とにかくこの心のモヤモヤはすべて自分の中の感情に整理がついていないせいだと思ったので、どうやったらこれがスッキリするのか、その方法が知りたかったのです。

あさぎさんの長期講座を受けていく中で、私には「話し合い」が足りていないことが見えてきました。

今思っている会社への不満は、要は勝手に自分の心の中で憎悪を膨らませているだけだったんです。

話し合えば解決するかもしれないことを、きっとこうに違いない、ああに違いないと私の脳内で決めつけて結論を出しては、変わらない現実に落胆する日々。

これを脱却するには自分のマインドを整えていく必要があると感じました。

会社も大切だけど、自分のことも守っていく必要があるので、自己犠牲の精神を辞めなければいけない。

私が仕事を拒否したら、果たしてみんなは怒るの?もしかしたら業務量の調整をしてくれるかもしれないじゃないか…

全部自分で背負う必要ってないよね、ちょっとぐらいサボってもいいよね、たまには早く帰ってもいいよね、そんな些細なことから自分を許していくという事を実践しだしました。

このころから少しずつ私の心も落ち着いてきて、また前向きに物事に取り組めるようになっていったように思います。

もっと変化したい、もっと良い人生にしたい、コーチングとの出会い

実はあさぎさんの講座はリアルタイム時にはほぼ仕事に追われていてアウトプットが間に合わず、私は講座修了後に地道に一人アウトプットをしていきました。

アウトプットをし、現実の行動を変化させていく中で、どうしても一人ではやはり解決できないもっと大きな課題が私にはありそうだと思うようになりました。

今のままでは、結局会社に依存した人生だし、この先再婚も見込みがないし、私は何を目標に生きていけばいいのだろうかと悩むようになったのです。

この悩みはずーっと私の心の奥底でヘドロのように居座っている部分で、誰かに聞いてもらわないとこのヘドロはいつまでも沈んだままのような気がしていました。

先の見えない不安は、やはり私の態度に現われてきます。

私はもっと会社も人生も良くしたいのに、なぜ反対の行動をしているの?なぜ反発してしまうの?

この気持ちにけりをつけるにはもはや1対1で話を聞いてもらうしかないと思うようになりました。

そこで調べて出会ったのが「コーチング」というものでした。

契約前提で体験会へいって、思いの丈をぶちまけたら涙が止まらず、ああ、私ってあの時のパワハラや離婚でこんなに傷ついていたんだなって、古傷を認識しました。

過去は過去!と頭ではわかっていても、心がすぐ過去へ引き戻されるこの癖を直すことにしました。

まずは半年契約で、とにかく毎日セルフイメージを上げるためにセルフトークノートを書くことに。

すぐ自分の欠点や、これが出来ていない、あれが出来なかった、と自己評価を下げる癖があるので、まずはとにかく自分をほめることに徹して、出来たことに注力するようにしました。

コーチからフィードバックをもらうたびに、溜息まじりの言葉が入っている自分に気づくという笑

自信を取り戻した分野もあるけど、根本的に自信喪失状態がずーっと続いていたし、ことあるごとに自己評価を下げる癖がついていることを知りました。

そして私は自分で何も決めていない、ということも知りました。

もちろん決めて動いていることもあるのですが、ほとんどの選択が受動的な事に気づいたんです。

人より行動力と思い切りはある方だとちょっぴり思っていただけに衝撃でした(笑)

つまり、もっと自分で人生は選び取ることができるってことなんです。

私の心の奥のヘドロ部分は、自分が選ばずに問題を先送りしている、見て見ぬふりゾーンの事なのかと思いました。

流れに身を任せていつかその課題が目の前に来たら対処しよう…だって今考えて行動するの怖いもん…っていう感じ。

まさに主体性ゼロ思考ですね。

そうか、私って自分の人生なのにどうしたいのか決めることから逃げていたんだ。と。

主体的に生きることを決断

私の人生を私が決めて何が悪い!

こう言い切れるようになるべく、私はセルフイメージを上げていくと同時に、見て見ぬふりをしていたことにも目を当てるようにしていきました。

そんな折、あの観光施設で出会ったエライ人から3年ぶりに連絡があり、この方が関わっている大きなプロジェクトの一つを手伝ってほしいとなったのです。

あの時ほんの3か月一緒に働いだけなのに、私を選んで連絡してくれたというのがものすごく嬉しくて、ちょうど生き方を変えていくためのマインドを整えている最中に起こったある意味「引き寄せ」みたいなお話だったので本当に驚きました。

特別なスキルのない私がちまたで話題の副業のような事をするなんて。って感じです。(しかも向こうからのお誘い)

今までめちゃくちゃ保守的な会社員だったので、この話に乗ることもかなりドキドキしました。

社長に相談すると「めっちゃええやん!」と後押ししてくれたのも心強かったです。

この頃から徐々に会社員で働くというスタイルへの疑問が膨らんでいたので、コーチングの先生と十分に話し合い、私の本当の望みをあぶりだしました。

そして、独立することを決めたのです。

何もないのにフリーランスになれるのか?

いわゆるフリーランスの人って、何かスキルや資格があったり、仕事でこの部分は誰にも負けない自信ありまくり!みたいな人がなれるものだとばかり思っていました。

そのブロックがずっとあったので、私はフリーランスになっても売り込めるスキル持っていないしどうしたものかと。

でも会社員で居続けることに違和感しかない今、とにかく社長に打ち明けるしかないと。

この素直な気持ちを言うしかない!告白だー!

ってことで、かくかくしかじか「会社辞めます」と言いました。

もちろん社長は寝耳に水なので「えー!」って感じでしたが、私には★秘策★があったのです。

そもそもこの会社の求人を募集していた時、人材がなかなか見つからなかったというのは知っているし、私自身、面接にさんざん立ち会ってきましたが本当にマッチングの難しさを肌で感じていました。

採用しても結局すぐ辞めることもありましたしね…。

では私が辞めた後、この空いた仕事を埋める人が見つかるかというと、絶対見つからない自信がありました。

気づけば私の仕事はこの会社においての専門職のような状態になっていたのです。

幸いメイン業務がWebマーケティングということで、PC1台とネット環境さえあればどこでも仕事ができるため、在宅ワークになってもほぼ問題なくクオリティを担保できるわけです。

そこで「もし良かったら私を外注扱いにしてこの部分の仕事を継続させてもらえませんか?」という交渉をしました。

ちょっと前までならこんな交渉をすることすら選択肢になかった私ですので驚きです。

今までスクール業務と兼任していた分、広報活動とマーケティングに注力するということで、業務量を半分ぐらいまで落とせる計算でした。

会社としても、一から人材を探して教育するより勝手知る私に発注したほうが断然話が早いし、正社員一人雇うより安く済むということで、利害が一致したのです。

ということで、私は営業せずとも長期契約の仕事をフリーランス開始と同時に手に入れたのでした。

いざ会社を辞めてすべての時間の使い方が自由になった今、継続している会社の仕事はというと、今のところ想定の半分以下の工数で進められています。

そしてかなり工数が空いているので、その分新規事業の立ち上げに関わらせてもらい、私としても非常に勉強になる環境を与えてもらっています。

ちなみに、あともう1社引き合いが来ているのですが、これも取引先のシステム会社の方から、フリーになったんだったら仕事手伝ってもらえない?というお話があり、現在契約締結に向けて動いています。

もしこれが決まれば、今まで仕事に充てていた時間の半分~3分の2の稼働時間で以前の収入と同程度か若干上回る計算です。

お昼休みが取れずに夕方5時ぐらいにその日初めての食事をとり、深夜1時に晩御飯を食べ、朝は気持ち悪いから抜いて…という不健康な生活を送っていた私が、今や3食ほぼ自炊で、お風呂にもゆっくり入れるし、睡眠時間も8時間は確保。

おまけに正社員だったらやらなきゃいけなかった朝礼とかいろんな当番、こまごまとした業務、電話応対、書類作成、顧客対応などなどを一切合切手放し、得意でやりたい仕事だけをほぼ在宅で行っています。

自分が主体的に、こうありたいという未来に向けて進んでいくマインドを持ち合わせていたらそれがフリーランスであろうと、組織に属しようと、どちらでもよいのです。

たまたま私が求める働き方がフリーランスの考え方に近かったというだけです。

ひとまず今は請負業者状態なので自分のコンテンツ開発をしていく予定です。

いろんな生き方をしている人と出会うことで、私の選択肢に会社員以外の生き方が増えました。

今私の周りには、「より良く生きるために自分は何をするか」を常に考えている人が増えてきています。

一昔前は愚痴を言ってその場で一瞬ストレス発散するけど、何も解決していない環境に身を置いていたので、ずいぶんと付き合う人が変わってきたなと思います。

コーチングの先生によればこれは当然の変化だそうですが。

私は小田桐あさぎさん、そしてコーチングの先生と出会って、自分の人生について考える時間をとることができました。

「ああ、人生って自分で好きにしていいんだ」

こんな至極当たり前のことすらわからなくなっていて、「誰か」がいう普通の人生を必死に模索していましたが、心が求めていないことをやろうとするから歪が生じていたんです。

この辺りはまた別でしっかり話していくつもりですが、もしこれを読んでいる方で、一歩踏み出すことにためらっていたり勇気がでない、そもそもどうしたらよいか分からないという場合は、まずはマインドを整えることが第一です。

ノウハウは山のように転がっていますが、マインドが追い付いていないと思うように結果が伴わなかったり、やっぱりダメだったじゃん…と自己嫌悪に陥り、元に戻ろうとしてしまうからです。

一昔前の私だとマインドが整っていなかったのですぐ元に戻っていましたが、今は違います。

新しい生き方に飛び込めて楽しみしかないのです。

はたから見たらありえないぐらい不安定に見えるかもしれません。

でも、正社員を手放してみて驚くほどストレスフリーな自分になれています。

これぐらいやって当然だと思っていたことが、実は心を蝕んでいたのだとようやく気付けました。

これからをもっと充実させていくために、私はどんどんやりたい事を叶えていきます♪

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